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創刊号(2013/9/1) 

ロミオとジュリエット――古典劇として、青春劇として

2013年09月01日 08:45 by irie
2013年09月01日 08:45 by irie

 「ロミオとジュリエット」――発表以来400年以上も受け継がれ、演劇以外でも様々に作品化されているのは何故か。10何本とある映画からカステラーニ監督作品(1954)とゼフィレッリ監督作品(1968)を選び、その魅力を考えてみたい。

 54年版は、言ってみれば静の「ロミオとジュリエット」。変化のない長回しが多く、動きは少ない。マキューシオらがほぼ一突きであっさりと死んでいくのは原作のト書き「両人戦う」「息絶える」をそのまま再現したかのよう。何だか原作発表当時の狭い舞台を連想する。古典を格調高く再現したという感じの作品だ。一方、68年版は動の「ロミオとジュリエット」。原作には人物の動きに対し「退場」や「物陰に隠れる」といった指示はあっても、立って、横向いてなど細かい指示はない。68年版はそこに想像力を働かせ、登場人物にとても激しい動きをさせている。

 バルコニーの場面。54年版は2人の間に空間的な距離があり、言葉のやり取りだけで愛を確かめる。しかし68年版は情熱的だ。言葉だけでなく、走り、抱き合い、三島由紀夫曰く「小鳥のように」口づけを交わす。またロミオが”O blessèd, blessèd night!” と独白するときも、54年版では役者が石段に座り静かに語るが、68年版では喜びのあまり木にぶら下がって叫ぶように語る。さらにジュリエットと別れた後は、ものすごい勢いで山を駆け下りていく。原作にそうした記述はない。だが若さと情熱で悲劇へと邁進するシェイクスピアのイメージはより引き立つ。彼はもともと9ヶ月あった物語を5日に縮めたのだ。

 若さと言えば、シェイクスピアはジュリエットを14歳にもならない少女と設定した。ロミオとジュリエットを演じた役者はそれぞれ、54年版で25歳と20歳、68年版では16歳と15歳だ。54年版の静的なイメージ、68年版の動的なイメージはここにもある。

 68年版は原作の省略によって、逆に5日間で死へと突き進む悲劇をくっきりと描き出す。恋人たちの死。54年版はロミオの毒薬購入こそ省いたが、手紙の行き違いやロミオがパリスを殺す件はそのままで、原作に近いストーリーを展開している。しかし68年版は毒薬購入を省くばかりか、手紙の件は簡単に、パリスの死に至っては丸ごとカットだ。その結果としてのスピーディな展開――ジュリエットが死んだと聞いたロミオは一気にヴェローナへ向かい、そのまま彼女の側で死んでいく。それでも映画の上映時間は、両者変わらずほぼ140分だ。原作の”the two hour's traffic of our stage”というナレーションに合わせたのだろうが、時間の使い方は全く違う。54年版はストーリー展開を丁寧に、68年版は決闘シーンなどをじっくりと撮っている。

 以上、2本の映画を比較してみた。54年版は古典劇としての「ロミオとジュリエット」に主眼を置いた、静かでシンプルな悲劇のお手本。一方、68年版は若さや情熱、性急さと、それらが招く悲劇を描いた青春劇。ともに原作の持つ性格を見事に表しており、古典悲劇を現代につなげ未来に受け継いでいける作品だと言っていい。すでにお分かりかもしれないが、私の好みは圧倒的に68年版。ニーノ・ロータの音楽が美しく、オリビア・ハッセー演じるジュリエットは可憐で、決闘はエネルギーに溢れている。マキューシオが殺されるシーンは、彼の痛みまで伝わってくるようだ。この映画では若者たちばかりが死んでいく。争いに意味などないと気付けなかったために。若さは愚かさと紙一重、だからこそ美しい――。

大阪大学文学部 入江優

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