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創刊号(2013/9/1) 

現代の報道とメディアリテラシー

2013年09月01日 08:43 by shuto
2013年09月01日 08:43 by shuto

現代の報道とメディアリテラシー
 
 

 先日麻生財務大臣兼副総理の発言が問題となりました。「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね?」という発言です。しかし、この文章は一部だけを切り抜いており、まるで麻生氏がナチスを支持しているかのようなミスリードを誘いかねない表現になっています。もちろん、総理大臣経験者でありながら「ナチス」という語弊を生みかねない表現を使った点や、「ナチス憲法に変わっていた」という誤った情報を述べた点で彼自身にも問題はあります。しかし、それと報道する側が自分たちの主張に合わせて発言を捻じ曲げたり切り抜いたりするのとは別問題だと私は考えます。ここでは、氏の発言が正しいのか正しくないのかは別として、このことを一例とし、報道の在り方について考察していきます。

  メディアリテラシーという言葉が扱われだしてから数年、皆さんは生活を送る中でそのことをどれだけ意識してきましたか。私は、メディアリテラシーは私たちが民主主義に基づいて社会を形成・運営していく中でなくてはならないものだと考えています。まず、私の考えるメディアリテラシーの定義とは「報道機関等から得られる情報を主体的に理解・分析して、そこから得た情報を活用できる力」です。また、民主主義のメインは選挙とそれに伴う投票行為であり、そのためには上述のようなメディアリテラシーが必要であると考えます。もちろん、中には有名だから投票するという人や、そもそも面倒だから投票に行かないという人もいます。しかし、民主主義をよりよく機能させるためには、個人個人が意識してメディアリテラシーを身に着ける必要があるのではないでしょうか。しかし、個人個人がメディアリテラシーを身に着けるのと同時に、各TV局や新聞社といった報道機関もより適切な報道をするように努力する必要があると考えます。もちろん私たち一人一人が積極的にメディアリテラシーを身に着けていくことが前提ですが、報道機関が出来事の内容を捻じ曲げたり、不自然に切り取ったりすることで誤解する人が一定数出てきます。では、現在の報道機関はそのように適切な報道ができているでしょうか。私はそうは思いません。初めに述べたように、現在のニュース番組等では、不自然に情報を扱い誤解を招きかねない報道になっていたり、ニュース番組でキャスターが自分の意見をまるで国民の総意のように話していたりします。

  では次は、私が報道に触れる中で違和感を持ったり、これはおかしくないかと考えたりした具体的な例を紹介します。

   みなさんは夕方のニュース番組でキャスターやコメンテーターが「○○党の経済政策によって国民はまだ影響を感じていない。本当に効果がでているのか。」としかめ面で語っているのを見たことがあるでしょうか。私はしばしばこの光景を目にします。しかし、私はこのような報道はおかしいと考えます。というのも、日本ほど大きな経済規模の国の経済になると当然その舵きりは難しいですし、目に見えるような影響がすぐさま出るのは考えにくいからです。また、しばしば番組内で使われるGDPなどの指標は、名目の値なのか実質の値なのかが明示されていないこともあります。これはとても偏った報道ではないでしょうか。また、世論調査を異常に重視する点もおかしいと考えます。私は、選挙が最も民意を反映したものであり、ほんの数百人数千人規模の世論調査で時の政権や与党を批判する現在の報道機関や報道番組の在り方は問題があると考えます。私は、そもそも世論調査は対象である人の数が少ないですし、その性質から調査を受ける人のステータスも限られてくるので、世論調査の数字に信憑性があるのかも疑問に考えています。

 このように、政治や経済に関する報道にはしばしば問題のある表現がされていたり、問題のある方法がとられていたりすることがあります。次は報道に携わる人自体について取り上げます。

 私はしばしばニュース番組でキャスターが自分の意見を述べているのを目にします。はたしてこれはニュース番組として適切なのでしょうか。私は、ニュース番組は出来事をできるだけフィルターを排除して視聴者に伝えるものであるべきだと考えていますし、フィルターを介したり、キャスター個人の意見が交わったりすることで真実が捻じ曲げられたり誤解を生む表現になってしまうと考えます。こういった基準で現在のニュース番組を考察してみると、少し本来あるべきである形から外れていると言えるでしょう。

   さて最後ですが、これまで述べたように、個人的に現在の報道には少しおかしな所や疑問を持つところがたくさんあります。報道は人々に広く知識を伝達する強力な手段であって、それ自体が常に理想的なあり方に近づいていくべきであると考えます。もちろん「理想的なあり方」という表現は多分に私の主観が混ざっていますし、人によって異なっているでしょう。しかし、こういったことを考察し、自分なりに何が正しいのかを考えていくだけでもメディアリテラシーは向上すると考えますし、自分がこれまでどういったやり方で報道にかかわってきたかを振り返るいい機会にもなります。皆さんもこれを機に一度、正しい報道が何なのかを考察してみてはいかがでしょうか。

 

                                                           大阪大学経済学部経済経営学科:酒井柊人

 

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